佐藤亜貴子 今年40歳!闘争心に火は付いている

2022.04.14

神奈川県平塚市出身。

兄と姉がいて、佐藤亜貴子は末っ子として育った。

 

小さなころは女の子の友達と遊ぶより、男の子の友達と遊ぶことが多かった。

「学校が終わると急いで家へ帰って、ランドセルをぶん投げて、遊びにいく。そんな小学生でした」

 

 

スポーツは剣道とバスケットボール。

バスケットボールは部活動だったが、剣道は父の影響で始めた。

 

「父が剣道をしていたので。

兄・姉もやっていたので、自然とやる流れになりました」

 

 

運動以外の趣味は動物のテレビ番組を見ること。

特に好きだったのは「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」。

東京サマーランド内の敷地にあった「東京ムツゴロウ動物王国」にもよく遊びに行ったそうだ。

 

高校は神奈川県立秦野南が丘高校へ。

大学への進学は考えていなかったと振り返る。

 

「高校卒業後はとにかく遊びたかったから進学の選択肢はなかった。

アパレル業界へ就職。小田原市内の紳士服販売店で働いていた。

でも、1年たらずで仕事は辞めてしまった」

 

 

その後はカナダへ飛んだ。

「語学留学とは名ばかりで、楽しむことに全力投球でした。

なぜかダンススクールに入ったりして、英語は一向に話せるようにならなかった」と笑いながら話す。

 

20代前半は海外に行くために期間労働をしてお金を稼ぐ。

そんな生活をしていたそうだ。

 

 

20代中盤には老犬介護の仕事にも就いた。

「動物が好きな気持ちは小さなころから変わらなかった。

でも別れの多い仕事だったので、かなり辛かったです」

 

 

そろそろ真面目に働かないと、と気持ちを入れ替えると、運命の出会いが待っていた。

 

辻堂の「ゴールドジム」に就職。

安定した職業に就き、仕事はフロント業務がメインで、プロテインバーでの接客も兼ねていた。

 

辻堂のゴールドジムには神奈川の競輪選手が大勢トレーニングにきていた。

当然プロテインバーにも競輪選手が顔を出す。

そんなとき「女子の競輪もあるんだよ」と声をかけてもらった。

 

そこからガールズケイリンについて調べると「自転車競技の経験がなくても始められる」と書いてあったことが目に入り、ダメ元でガールズケイリン挑戦を決意した。

 

ゴールドジムの仕事が終わってから夜間にロードレーサーで練習をしたりして、試験に備えた。

 

108期の試験は自転車競技経験がなくても受けることができる適性試験を選択した。

108期の適性合格者は佐藤亜貴子の他に、尾崎睦、岡崎優美(引退)、児玉碧衣の4人だった。

 

 

競輪学校に合格すると師匠が必要になる。

そこで電話をはじめにくれたのが渡邊秀明。

だが渡邊の元には106期の金田洋世(引退)もいたこともあり、渡邊と同門だった柴田健に声がかかった。

 

柴田ただ1人の弟子が佐藤亜貴子だ。

 

「108期は尾崎睦、児玉碧衣の2人がいたから周りも頑張れた。

2人に追い付け追い越せって感じで練習に打ち込んだ。

タイムが日に日に良くなっていくことが楽しかったし、若い子たちに負けたくないって気持ちで頑張りました」

 

自転車競技未経験ながら、在校成績は5位。

卒業記念レースでも決勝へ進出し7着と結果を残した。

 

 

2015年7月、32歳でプロデビュー。

デビュー戦は別府だった。

先行、まくり、先行と自力を3日間出して、4、2、4着。

この開催で「自力っていいかも」と思い、ガールズケイリン選手・佐藤亜貴子は自力選手として戦うことを選んだ。

 

初勝利はデビュー2場所目の地元平塚最終日。

逃げ切りの1着だった。

 

「最終日の1着はうれしかった。

レースは先行するつもりがなかったのに体が勝手に動いた。

応援も多かったし、自分は目立ちたがりなので、スイッチが入ったのかもしれないですね」

 

初優勝はデビュー2年目の冬、12月の立川。

佐藤亜貴子の持ち味を発揮した自力でつかみ取った優勝だった。

最終ホームからカマシ先行で末脚よく押し切った。

 

「同期も何人も優勝をしていたし、自分もできてよかった。うれしかった」とニッコリ。

 

立川に続き宇都宮でも優勝。

2場所連続優勝を達成したのだ。

 

「宇都宮もレース内容にこだわっていった結果。

『主導権をを取ろう』と思ってレースに臨んで、仕掛けていったら逃げ切れた。

自分でもびっくりしました」

 

 

    この記事が気に入ったら
    いいね! してね。

    その他の松本直のガールズケイリンちょっとイイ話

      おすすめの記事