味のあるマーク選手・浦部郁里 車券に貢献する走りを
2022.06.06
浦部郁里は千葉県流山市出身。
弟と2人きょうだいで、外で遊ぶことが大好きな好奇心旺盛な少女時代だった。
デビュー当時、絵を描くことが注目されて、新聞でも連載をしている時期があった。
絵を描くことは小さなころから好きで、コンクールで賞状をもらうこともあったそうだ。
中学は地元流山の八木中へ。
部活は剣道部を選択した。
「きっかけは忘れたけど、物心ついたときから格闘技が好きだったんです。
だから中学では剣道部を選んだ。
K-1、ボクシング、女子プロレス。興味があったし、格闘技で生きていくことも考えたけど、親に反対されました」
高校はサッカーやラグビーで有名な流通経済大学付属柏高へ進学。
高校卒業後の進路は大学進学を選択。
体を動かすことが好きだったこともあり、選択肢は絞られていった。
「行きたい大学は2つだったけど、順天堂大学のキャンパスを見学に行ったとき、『ここしかない』って直感があったんです。
あとは家を出たかったのが大きい。
順大は1年生が寮生活になる。
それなら、自然な理由で家を出て1人暮らしができるって思ったんです」
思いは通じて、順天堂大学へ進学。
キャンパスライフは勉強とバイトがメインだった。
「大学を卒業したあとに、柔道整復師の資格を取りたかったので、専門学校の学費が必要だった。
だからバイトはめちゃくちゃしましたよ。
工場、ファミリーレストラン、派遣の仕事もしました」
バイト中心の生活の中でも、きっちりと保健体育の教員免許は取得したそうだ。
大学卒業後は柔道整復師の専門学校へ。
しかしある日、突然自転車競技との出会いが訪れた。
「順大時代のゼミの同級生が松戸市の職員をしていた。
その同級生が国体に自転車競技で出場するために、メンバーを探していて、自分に声がかかった。
話を聞いたときに『面白そうだな』と直感で感じた。
ここでも自分の直感を大事にした。
この話の流れを切ると後悔するような気がしたので、自転車競技をやることにしました」
自転車競技の練習をしていく中で、ガールズケイリン復活の知らせを耳にすると『やるしかない』と直感で決断。
ガールズケイリン1期生の試験に臨むこととなった。
日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の入学にあたり、師匠が必要だった。
当時千葉支部の支部長をしていた篠田宗克(65期・引退)にあいさつをしたとき、住んでいる所を聞かれ答えると、浦部の住んでいた場所の近所の吉川和廣(67期・引退)を紹介されたそうだ。
「師匠からは細かいことは言われなかった。
とにかく『あいさつをしっかりしろ。何かあれば連絡、相談はしてくれ』とこの2つだけ言われました」
ガールズケイリン1期生の試験は無事合格。
初物づくしのガールズケイリン1期生として1年間の学校生活を過ごした。
個性の強いメンバー同士でぶつかり合うことはあったが、無事卒業し、7月のデビューを迎える。
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