味のあるマーク選手・浦部郁里 車券に貢献する走りを

2022.06.06

 

デビュー戦はガールズケイリン開幕戦の2012年7月1日の平塚。

 

当時の印象を尋ねると「レースのことはあまり覚えていないんですよ。

前検日はとにかく記者の数が多かったし、開催が始まるとファンの数もすごかった。

あと、初日は雨がすごく降っていた。

競輪選手はこんな雨の中でも走るのかと思った印象しか残っていない」と振り返る。

 

デビュー戦は6、4、3着と決勝に乗ることはできなかったが、2場所目のホームバンク松戸では決勝進出、8月の平塚では補充参戦で初勝利を挙げた。

 

「デビュー1年目はいろいろありました。

3年でガールズケイリンはつぶれるって声もあったし、実際1カ月に1場所しかあっせんがなかったときもあった。

本当に賞金が少ない時期もあったし、つらかったですよ。

 

でも師匠に「自力は無理だから、2、3着に入れるように走りなさい」と言われていた。師匠の師匠である菅谷幸泰(43期・引退)さんにも「車券に貢献することを考えて走りなさい」とアドバイスをもらった。

自分には自力がなかったし、対戦相手の動きを利用して立ち回ることを意識しました」

 

 

『頭を使ってクレバーに走る』

 

浦部が自分の持ち味を生かした走りを見つけたことで、2年目の2013年2月、松戸で初優勝達成、6月前橋ではコレクションに初参戦。

12月松山では2回目の優勝を達成と好成績を残した。

 

2期、3期、4期と高い身体能力を持つ選手が次々とガールズケイリンに入ってくる中でも浦部は自分の立ち位置を確立し、車券には欠かせない選手となっていった。

 

「新しい選手が入ってくると、人間観察をするんです。

パワーでは敵わないけど、同じレースを走るわけだし、なんとか自分が2、3着に入れるように相手の動きを見ているんです。

自転車に乗っているときだけではなく、普段の行動もレースにつながってくる。

そこが自分の生命線ですね」

 

 

ここ数年の浦部のレースを見て心配しているファンもいるはずだろう。

浦部自身も歯がゆい結果が続いている。

 

「17、18年は小麦のアレルギーで体調を崩してしまい、苦しかった。

最近は食事制限をしてだいぶ改善してきたのですが、あのころは本当に厳しかった。

 

20年3月に滋賀へ移籍したのは鍼灸の専門学校に通うため。

来年(23年)、国家試験があるので、そこまでは学校に通いながらの選手生活になってしまうけど、今できることを頑張りたい。

 

コロナ禍で県外移動の練習ができないこともつらいですね。

でもこのまま終わりたくないんです。

 

今年7月でガールズケイリンは10周年。

11年目になるので、まだまだ頑張りたい。

 

自分より年上の選手も元気いっぱい。

加瀬(加奈子)さんは順大の先輩。結婚して子供を産んでガールズケイリンへ帰ってきて元気に先行している。

若い選手にも負けたくない気持ちはまだまだあるんです。

 

試験が終わるまでは少しバタバタしてしまうけど、時間が立てば元の位置に戻りたいと思っている。

ファンの人たちに『浦部、だいぶ戻ってきたな』って言われるようにコツコツやっていきたい」

 

 

前回の伊東で落車し、鎖骨を骨折。

だが、浦部は前だけを向いている。

 

「選手になる前、先輩選手が「競輪選手は鎖骨が折れたら一人前」って言っていた人がいました。

10年目にして、やっと1人前ってことですよね?笑

やっと競輪選手らしくなったということで、しっかり治して復帰戦に向けて練習を頑張りたいと思います!」

 

 

今年7月、11年目に突入するガールズケイリン。

2022年6月1日現在、1期生は20人。

 

個性の強い選手が集まった1期生。

その中でも浦部郁里は味のあるマーク選手。

車券に貢献する走りを披露する日は近いはずだ。

 

 

 

浦部郁里 Kaori Urabe

生年月日:1987年1月6日

身長:155.2cm

期別:102期

登録地:滋賀県

 

 

松本直 Suguru Matsumoto

誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)

 

 

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