常にワクワク!前を向いて進み続けるベテラン・杉沢毛伊子

2022.10.07

「ジムは競輪場のそばにあり、静岡支部の選手も数多く通っていました。

師匠になる望月永悟さんを筆頭に、渡邉晴智さん、新田康仁さん、村本大輔さんと、そうそうたる選手がいました。

そんなすごい選手たちにトレーニングを教えていたなんて、今考えると怖いもの知らずですね」

 

ジムに来てくれる競輪選手たちの成績を確認したとき、「48年ぶりに女子競輪再開」の文字が杉沢の目に飛び込んできた。

 

「競輪のホームページを開いたら、女子競輪再開のトピックスが上がっていた。

『え』って感じで、すぐにやりたいと思いました」

 

やりたい気持ちは高まったが、乗り越えるハードルがあった。

母を説得することだった。

 

杉沢の母はもちろんガールズケイリンのことは知らないし、競輪は男の仕事だと思っていた。

そんな母を納得させるために、富士市内の自宅から勤務先の静岡市まで往復100キロを、可能な限り自転車で通勤したのだ。

 

口を聞いてくれない時期もあったが、真剣に自転車と向き合い始めた娘の姿に少しずつ心を開いてくれたそうだ。

そんなタイミングで大きな事件が起きた。

杉沢が交通事故に遭ってしまったのだ。

 

「車の運転中でした。自分は軽自動車。前方の4トントラックの事故で、積み荷の鉄パイプがバラバラに。

自分の車のフロントガラスに突き刺さった。

数センチずれて車に当たっていたら、自分は即死だったかもしれない。

不幸中の幸いで顔面にガラスの破片が刺さったことと、ろっ骨を4本骨折するだけで済んだ。

事故の後、母が『人生は何があるか分からないし、やりたいことをやりなさい』とガールズケイリン挑戦の背中を押してくれたんです。

事故は大変だったけど、必然だったのかもしれないですね」

 

 

ガールズケイリン挑戦を決めると、次は師匠探しを始めた。

 

初動負荷のジムに競輪選手が多く出入りをしていた中で、望月永悟に声を掛けた。

 

「望月さんが優しそうだったので(笑)

ガールズケイリンのことを何も知らなかったので『自転車はどこで買えばいいですか』と声を掛けました。

望月さんは察してくれたようで、いろいろ面倒を見てくれました。

弟子にしてもらえて本当に良かったです」

 

師匠の望月永悟

 

望月の指導と、持ち前の運動神経の良さを発揮して日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)104期の試験に合格。

学校生活は楽しかったと振り返る。

 

「高校の部活の理不尽さがあったので、競輪学校は苦しくなかった。

タイムが伸びないことだけが悩みでしたね。

でも104期は石井寛子ちゃん、山原さくらちゃん、梶田舞ちゃん、田中まいちゃんと自転車競技経験者が多かったので、近づきたい一心で練習に打ち込みました」

 

1年間の競輪学校(現:日本競輪選手養成所)生活は在校成績7位、卒業記念レース決勝5着で終えた。

 

104期は2013年3月に卒業すると、同年5月にデビュー。

杉沢のデビュー戦は5月の京王閣。

 

予選2走は7、6着と振るわなかったが、最終日の一般戦は豪快なカマシ先行を決めて、初勝利をつかみとった。

 

「初勝利は本人が一番びっくり。

最終ホームからカマしたけど、全員に飲み込まれてしまう恐怖心を持ちながらゴールまで踏んだ感じでした。

1着を取れたことで、スタートラインに付けたような気持ちになりました」

 

デビュー戦の京王閣にて

 

またデビュー2場所目には杉沢毛伊子と切っても切れない関係を持つ、篠崎新純との出会いもあった。

練習を一緒にすることもあるし、検車場でよく話をしている場面をよく見るが、第一印象は怖かったと振り返る。

 

「デビュー2場所目の静岡でした。

宿舎が篠崎さん、(田中)まいちゃん、自分の3人部屋。

篠崎さんはレースに向けて集中しているし、怖かった。

部屋でも喋ることはなかったんですよ。

でも最終日の一般戦で自分が1着を取ったら、篠崎さんのほうから話しかけてくれたんです。『一般戦を走る選手じゃないよ』って。

怖いと思っていたのに、優しかった。ギャップにびっくりして、その後からは打ち解けました。

篠崎さんは自転車競技の経験も豊富だし、ガールズケイリン1期生で何でも知っていた。

ガールズケイリンのことを聞けば何でも教えてくれました。

女子にしか分からないことも多かったので、すごくありがたかったです」

 

篠崎新純(左)と杉沢(右)

 

初勝利後、決勝に乗ることができない開催が続くも、最終日の一般戦ではきっちり1着を取っていた。

7月いわき平で初めて決勝に乗ると、その後はコンスタントに決勝に進んだ。

12月の松山では中川諒子の逃げをまくりで仕留めて初優勝。

師匠や篠崎の助言の効果もあり、順調なプロ1年目を歩み始めた。

 

しかし2年目以降はケガとの戦いが多くなった。

14年6月立川、17年千葉、18年富山、20年豊橋、21年大宮と落車をきっかけに成績を落としてしまうこともあったが、杉沢は前を向く。

 

「体重が重い分、落車をするとダメージが大きい。

復帰まで時間が掛かってしまうんですよね。

最近は、昨年の大宮の落車の影響が大きかった。

なかなか思い通りに走れない時間が長かったのですが、篠崎さんから東京の整体を紹介してもらって治療に行ったら、首の骨がずれていることがわかったんです。

治療したらだいぶ良くなってきたので、ここから上げていきたいです」

 

 

何回落車をして、大きなケガをしても杉沢毛伊子は諦めない。

 

「まずはルールを守ること。

デビュー2年目の立川で(田中)麻衣美さんを外から斜行して転ばせてしまったことがある。ルールを守った上で勝ちにいきたい。

自分はガールズケイリンが好きなんです。

選手生活10年目に入って、周りの選手のレベルは上がっているけど、自分には10年の経験がある。

負けることや失敗することも多いけど、成功のためだと思うんです。

新しいことを学ぶチャンスだと思うし、慣れることがないのが楽しい。

常にワクワクしています」

 

 

9月の静岡で久しぶりに決勝進出。

首の状態も良くなり、これから成績は上がってくるはずだ。

 

「風が強いのも好きだし、冬も好き。ここからですね。

まずは競走得点50点を目指して頑張りたい。

目に見える目標を立てるとやる気も出る。

プロなので、車券に貢献できる回数を増やしていきたい」

 

しぶとく車券に絡んでくるベテラン杉沢の力走に注目していきたい。

 

 

 

杉沢毛伊子 keiko Sugisawa

誕生日:1985年11月7日

身長:158.0cm

期別:104期

登録地:静岡県

 

 

松本直 Suguru Matsumoto

誕生日:1979年5月1日

所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)

 

 

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