ガールズケイリン1期生・野口諭実可 挑戦は始まったばかり
2022.11.08

競輪学校卒業後は地元の群馬に戻るも、練習環境に苦労した。
「練習は1人でやることが多かった。
どういう練習をすればいいかも分からず大変だった」
デビュー戦は2012年7月の京王閣。
5、7、4着とほろ苦い選手生活スタートとなった。
デビュー後も大きな着順が続いてしまったが、そんな時期に手をさしのべてくれたのは群馬支部の先輩選手たちだった。
「前橋ドームでの朝練習に声を掛けてもらい、練習に混ぜてもらいました。
デビュー当時、憧れの存在だった木暮安由さんがいたので、一生懸命練習に取り組みました」
デビュー1年目は未勝利に終わったが、デビュー2年目、2013年の7月には松戸、岸和田で連続決勝進出。
月末の平塚一般戦では初勝利も挙げた。
デビュー3年目にはコンスタントに決勝進出を積み重ねていき競走得点も安定してきた。
「デビュー当時は『最初にクビになる』と言われることも多かった。
50点に届かない時期もあり苦しかった。
レースに慣れてきたのは3年目くらい。
3期生が出てきたあたりから流れに乗れるようになりました」
マーク、追い込みを主戦法にしてガールズケイリンで存在感を発揮し始めた野口だが、もう一段階ステップアップするために選んだことは武者修行だった。
デビュー5年目の2016年、競輪場内で物品販売に来ていた川野信一郎(52期・引退)さんから「おれの所にくれば強くなれるぞ」と声を掛けられ、現状打破を目指していた野口の思惑と一致。
川野のいる大分への出稽古を決意した。
「最初は興味本位で大分に出稽古へいきました。
大分では川野さんがマンツーマンで練習の面倒をみてくれた。
練習を始めた当初は練習がキツ過ぎて、一度脂肪を落として筋肉に変えるため体重がすごく減って、ヘロヘロになりました。
強くなるフォームへの改造のため一時期成績が落ちましたが、辛抱しました。
練習メニューは乗り込み、練習道場でのウエイトトレーニングにローラー練習。
キツい練習なので根性は付きましたね。
今まで、川野さんのところに来た選手は約150人。
来た選手は、確実に、しかもかなりのはやさで強くなっています。
特別競輪や記念競輪を獲った選手もいますし、初めてS級に上がった選手、初めてA級で優勝しその後何度も優勝した選手、チャレンジレースから特昇した選手など、何人もいるんです」
2018年11月には群馬支部から大分支部へ移籍。
強くなるためへの努力は惜しまなかった。
その成果は結果に結びついた。
2021年2月小倉で初優勝を達成。
落車のアクシデントもあったため、手放しで喜べない1着だったが、デビューから8年7カ月での初優勝は感慨深いものとなった。
「落車があったのは残念。でも優勝できたことはうれしい。
デビューからお世話になった群馬のみなさんや、大分で練習を見てくれているみなさんのおかげで優勝することができて本当によかった。
最初はクビにならないように頑張っていたのに、まさか優勝ができるとは自分が一番びっくりしました」
今年に入ってからも安定感は抜群。
車券に絡む回数も増えている。
ここまでの1着回数は、昨年21年の5勝を大きく上回る10勝。
まだまだ伸びしろはありそうだ。
「川野さんからは『まくりで勝てるようになってきたし、次は先行で勝てるようになることだな』と言われている。
それに『昔の悪いフォームがまだ出ているから、それを直すこと、まくりで11秒7.8を出すこと。先行で勝てるようにするから気合入れろよ!』って言われて、日々キツい練習をこなしています!
周りの選手と比べるとまだパワーが足りない。
大きなギアを掛けた練習を増やしていくことと、やることはまだまだある」とやる気満々。
前走の久留米では2日目に落車。
左足の擦過傷とむち打ちを負うも「骨に異常は無いし、落車後の方が調子が良いことがよくあるので、全然平気です」と、前を向く。
代謝寸前まで競走得点を落としたこともあるが、名トレーナーとの出会いがきっかけで成績がグングン上昇。
来年はビッグレースへの出場も視野に入ってくる。
ガールズケイリン1期生・野口諭実可の挑戦は始まったばかりなのかもしれない。
野口諭実可 Yumika Noguchi
誕生日:1992年7月28日
身長;160.5cm
期別:102期
登録地:大分県
松本直 Suguru Matsumoto
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)
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