息を吹き返した矢野光世 「自分のペースで自分らしく」

2022.12.07

矢野光世は福岡県福岡市出身。

映画好きの母親の影響で少しおませな女の子だったそうだ。

 

「外で遊ぶことより、映画を見たり、本を読んだりすることが好きでした。

漫画も当時の流行りではなく、昔のものが好き。

特に好きだったのは手塚治虫の『ブラック・ジャック』。

大人が好むものをよく読んでいました。

体を鍛える意味で小学5年生から剣道クラブに入って、中学でも部活で剣道を続けたけど好きなわけではなかった」

 

 

中学時代、勉強は好きだったが、学校生活はあまり好きではなかった。

自宅から近い九州一の繁華街・天神へ行くことが多かった。

盛り場へ行くのではなく、サブカル探索。

ミニシアターで映画を見ることが楽しみだったそうだ。

 

「中学時代は斜に構える生意気な子供だったと思います。

流行りの映画を見ることはあまりなく、「自分しか見ていないだろう」みたいな映画を見つけるのが好きだった。

将来は映画評論の仕事をしたいなと思っていました」

 

 

高校は博多工業高校へ入学。

志望動機は「家から一番近い高校だったから」とシンプルだ。

「特に行きたい高校もなかった。家から自転車で15分くらい、通うのに楽だったから」

 

高校でも引き続き学校生活は好きではなかった。

小さいころに見た映画『メッセンジャー』の影響で自転車に興味があり、高校2年のとき自転車を買うことにした。

しかし一番欲しかったロードバイクは高すぎて高校生の矢野には手が届かず、価格帯を下げたクロスバイクを購入。

 

「『メッセンジャー』を見てから、ずっと自転車に興味があった。

自転車に乗ればいろんなところへ行ける。

高校時代は放浪癖があり、自転車は自分に合っていた。

自分の好きなタイミングで行きたいところへ行けるので。

自転車を買うためにアルバイトもしました。

皿洗いや郵便局の年賀状の仕分け。

自転車屋さんの店番の手伝いもしていました」

 

 

高校卒業後は、母親のすすめで製菓の専門学校へ進学した。

 

「やりたいこともなかったし、働きたくもなかった(笑)

料理や細かい作業は好きだったので、調理の専門学校へ行った。

10日間レストランで実習することがあり、そのとき「やっぱり働くのは無理」って思いました」

 

専門学校で調理師の免許は取ったが、卒業後に料理の道へ進むことはなかった。

何をすればいいか迷っていたとき、思い出したのがメッセンジャーの仕事だった。
※自転車を使った宅配業

 

店番の手伝いをしていた自転車屋さんの知り合いにメッセンジャーがいたこともあり、仕事はすんなり決まった。

メッセンジャーとして福岡市内を中心に雨の日も風の日も荷物を運んだ。

 

「仕事場の雰囲気もよかったし自由な人も多い職場だったので。

給料は安かったけど仕事は楽しかった」

 

 

転機はメッセンジャーの仕事をしている時期に訪れた。

ガールズケイリンとの出会いだ。

 

自転車関係の仕事をしていることもあり、「女子競輪復活」のニュースはいろんな場所で目にすることが多かった。

 

「ガールズケイリン1期生募集のときから興味はありました。

でも1期生のときはどんなものかわからないし見送りました。

1期生の競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の合格タイムを耳にすることがあり『自分でもできるかも』って思った。

メッセンジャーの仕事もこのままずっと続けていくことはヤバいかなと思う時期だったので」

 

挑戦を決意したのはガールズケイリン2期生募集の締め切り間際。

JKAの九州事務所へ自ら出向き、2期生募集の願書をギリギリで提出。

試験に備えた。

 

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