息を吹き返した矢野光世 「自分のペースで自分らしく」
2022.12.07
メッセンジャー時代の知り合いに競輪選手になった古川大輔(広島・99期)がいたこともあり、久留米競輪場にあいさつへ行き、当時の福岡支部長を務めていた藤田剣次を師事することとなった。
競輪学校の試験は技能で受験。
メッセンジャー時代に鍛えた脚力があったので、タイムには自信があり、2期生の試験は無事合格。
学校時代の在校成績は6位。卒業記念レースは決勝進出。
石井寛子、三宅愛梨に続き3位の成績を収めた。
「104期はいい人ばかりで楽しかった。でも学校生活は苦しかったですね。
小さいころからの性格で集団生活は苦手。そこだけは苦労しました(笑)」
同期の田中まいと
デビュー戦は2013年5月の京王閣。
予選2走を3、2着と確定板に入り決勝進出。
決勝も4着。上々のスタートを切った。
「デビュー戦は緊張しなかったんですよね。
ただ最終日が終わったあとにもらった賞金にはびっくりしました。
メッセンジャー時代には稼げないくらいの金額をたった3日間でもらえた。
でも、金額にはびっくりしたけど、あんまりお金には興味がなかったんです」
デビュー戦後も先行まくりの機動力を武器にして、順調に戦歴を積み重ね、4場所目の6月奈良最終日の一般戦で初白星。
20場所目の12月奈良で初優勝達成。3連勝の完全Vを決めた。
2年目も5月武雄、7月立川で優勝。
8月にはガールズケイリンフェスティバル(松戸)に参加とガールズケイリンの中心選手に成長。
車券に欠かせない存在となった。
しかし3年目、4年目と後輩が続々とデビューすると、矢野の存在感は薄れていってしまった。
福岡では矢野以降に小林優香、児玉碧衣、林真奈美、大久保花梨、尾方真生らガールズケイリンの有力選手が多く出現。
矢野が目立つ舞台が減っていってしまった。
「選手になったときからだけど、性格的に人と戦いたくないんです。
器用に立ち回ることもできないから、一発がはまるかどうかになってしまう。
そうなると自然と成績は大きい数字が多くなってしまうんですよね」
これが矢野光世の特徴なのだ。
人と争うことが嫌いな性格だから、自分のタイミングで仕掛けるレースになる。
展開がはまれば強いけど、前に出ることができないときには大敗をすることもある。
自らもリスクを背負いながら走っているのだ。
2020年は体調を崩すアクシデントにも見舞われた。
6月小倉の3日目、補充を走る予定で参加したが、腹痛が治まらず欠場。
腎臓の不調が原因で長期離脱を余儀なくされた。
競輪選手には代謝制度というものがある。
年に2回、成績下位の選手はクビになってしまうのだ。
体調不良は代謝制度の免除にはならないため、矢野は苦労した。
2021年前期は1開催3走しか走ることができず、競走得点は43点。
2021年後期に47点以上を取って、代謝回避をするしかなかったのだ。
練習仲間のおかげで地道なトレーニングを積み重ねると、レースでの成績も上昇。
ボーダーラインの47点を超える47.30を獲得し、代謝回避に成功したのだ。
左から福岡県所属の大久保花梨、矢野、長澤彩、林真奈美
「人と戦いたくない気持ちは変わらないけど、自転車は好き。
田中誠さんの練習グループに声を掛けてもらって練習をして成績は上向いた。
誠さんとは話も合い「光世のやりたいようにやればいいんだよ」とアドバイスをくれた。後輩の大久保花梨も一緒に練習をする。
仲間の存在は大きいんですよ」
田中誠
大久保花梨と
代謝の危機を回避した2022年は矢野光世らしい一発攻撃も少しずつ決まるようになってきた。
10月の松戸では2019年7月宇都宮以来となる予選での白星もゲット。
年間勝利数も7勝と息を吹き返した。
「私にとってガールズケイリンは自分との戦いなんです。
性格的に合っているとは思わないけど、他にできることもない。
でも私はドMなんで苦しいことが好きだし平気なんです。練習は苦にならない。
人と比べることをしないで自分のペースで自分らしく走っていく。
私は私なので」
矢野光世 Teruyo Yano
生年月日:1991年3月3日
身長:162.2cm
期別:104期
登録地:福岡県
松本直 Suguru Matsumoto
誕生日:1979年5月1日
所属:デイリースポーツ(競輪記者歴13年)
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