向井円 師匠と二人三脚で鍛えた力を発揮しデビュー2勝目へ!
2023.02.10
向井円は大阪府八尾市の出身。
2つ下の妹と2人姉妹。
小さい頃から外遊びが大好きな女の子だった。
左:幼少期の向井円
右:妹(写真左)と愛犬のロビン
父は男の子が欲しかったそうで、長女にはいろんなスポーツを経験させた。
小学生の頃は水泳、剣道、ダンスにソフトボールと習い事で忙しい毎日を過ごしたそうだ。
中学時代は水泳一筋。
父の送迎で水泳スクールの朝練習に参加。
中学校へ登校し、夕方にまた水泳スクールで練習と3年間水泳に打ち込んだ。
その反動か進学した大阪信愛学院高校ではソフトボール部を選択したそうだ。
「中学時代の水泳がキツくって、高校で続けるつもりはなかった。
水泳スクールの先輩を見に行ったとき、近くでソフトボール部が練習をしていたので、いいなと思って入部した」
小学生の頃の経験を生かして、ソフトボール生活がスタート。
同級生は10人いたが、向井以外の9人は推薦入学で入った中学ソフトボールの経験者。
その中で向井はピッチャーとして活躍したそうだ。
「タイミングがよかった。
小学生の頃からソフトボールではピッチャー。
3年生の先輩ピッチャーが引退したので、自分に順番が回ってきたんです」
高校1年生の夏以降はエースナンバー1を背にグラウンドで汗を流した。
高校時代はソフトボール中心の生活。
就職の選択肢はなく、大学進学を希望。
ソフトボール部での活動が評価されて大阪体育大学への推薦の声がかかった。
「部活中心の生活で勉強はあまりしていなかった。
大学には行きたいけど、勉強をするのは大変。
推薦の声がかかったことはラッキーでした」
大阪体育大学は現役競輪選手が多くいた学校。
ガールズケイリンでは豊岡英子に山本知佳。
男子では高久保雄介、中西大、古賀勝大が大阪体育大学のOB、OJだ。
「山本知佳さん、古賀勝大さんは自分が1年のときの3年生。
中西大さんは全く学年がかぶっていないけど、自分が大阪体育大出身ですと話しかけたら、すごく良くしてくれました」
ソフトボールの推薦で大学へ進学したが、懇意にしていた先輩の引退、向井自身の肩の故障もあり2年生のときにソフトボールは引退した。
目標を失った向井にソフトボールの恩師から指導者の道を進められ、岸和田市の久米田中学校でソフトボールを教えていた。
ただ、根が体を動かすことが大好きなだけに、教えることで向井の気持ちは収まらなかった。
アスリートの血が騒ぎ、友人がやっていたトライアスロンへの挑戦を開始した。
大学4年生の時にはトライアスロンでインカレにも出場。
トライアスロンをしながら大学卒業を迎え、非常勤の教員として働くこととなった。
ガールズケイリンとの出会いはトライアスロン時代のバンク練習。
関西サイクルスポーツセンターでのバンク練習に向かったとき、門脇真由美の師匠・城本量徳氏から勧誘を受けたことがファーストコンタクト。
「城本さんにガールズケイリンがあるよ、挑戦してみないって声をかけてもらった。
ガールズケイリンのパンフレットをもらい、中武克雄さんを紹介してもらったけど、そのときはあまり乗り気ではなかったんです」
師匠の中武克雄と向井円
大学卒業後、非常勤の教員として働きながらトライアスロンのレースに出場していたが、もやっとした思いを抱えたままだった。
社会人1年目の夏休み、時間だけがある暇な状態だった。
そのときにガールズケイリンのことを思い出し、中武へ連絡することとなった。
「やることもないし、暇。
お金もなかったし、中武さんへ連絡をしたんです。
そうしたら中武さんが『自分は今バンクで練習はしていない。ウエートトレーニングが中心だから仏田一夫を紹介する』と言ってくれました。
8月1日からバンクで仏田一夫さんに練習をみてもらい、10月の114期の試験に備えました」
2学期が始まるともちろん仕事が優先。
土日だけの練習で試験に挑んだ。
身体能力の高さを発揮して技能で受けた114期の1次試験は合格。
その後は2次試験に向けてテスト勉強と面接の練習を重ねたと笑いながら話してくれた。
2次試験も勉強の甲斐がありクリア。
晴れて競輪学校114期として入学が決まった。
日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)では地道な練習をコツコツと繰り返し、自分のペースで訓練を積み重ねた。
その成果はタイムで現れ、入学前よりいいタイムを出して卒業することができた。
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