ガールズケイリン1期生・野口諭実可 挑戦は始まったばかり

2022.11.08

ガールズケイリン1期生の野口諭実可は群馬県伊勢崎市の出身。

12歳離れた兄と2人きょうだい。

小さな頃は家の中で遊ぶことが好きなインドアな女の子だったそうだ。

 

「1人でゲームをしているのが好きだった。ポケモンや、マリオにハマりましたね。

ゲームに夢中になりすぎて、小学校の頃は宿題を忘れて怒られたこともありました」

 

 

ゲーム好きの内気な少女だったが、「護身のために空手をやったほうがいい」と両親に言われて空手を始めたことが、スポーツとの出会いだった。

 

中学生になると水泳部へ入部。

1、2年生の頃は結果を出せなかったが、3年生になるとクロールで県大会まで出場を果たした。

 

高校は太田市にある私立常磐高へ進学した。

高校では水泳を続けることはせず、帰宅部だったそうだ。

 

「高校で友達もできたし、遊ぶことが楽しかった。

休みの日にご飯へ行ったり、カラオケに行ったり自由に過ごしていました」と帰宅部ライフを満喫したそうだ。

 

 

ガールズケイリンとの出会いは高校3年生。

勉強は嫌いだったので大学進学の選択肢はなかった。

自衛隊に入隊することも考えていた時期だった。

 

父が競輪の大ファン。

高校生になった頃から、父と一緒に競輪を見る機会も増えていた。

 

高校2年生の冬、2009年に京王閣で行われたKEIRINグランプリ。

海老根恵太の優勝は鮮明に覚えていた。

 

競輪の魅力にハマると、父の友人に「女子の競輪が始まるよ」と声を掛けられたそうだ。

「競輪選手になるのもいいかな」と思ったが、どうやったら選手になれるのかは分からなかった。

 

そんなときに手を貸してくれたのは高校の先生だった。

「野球部の顧問の先生が競輪好きで協力してくれました。

競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の適性試験合格に向けて、パワーマックスで練習をつけてくれました」

 

 

競輪学校1期生の試験はダメ元での受験だったが、適性試験で合格。

合格の知らせを聞いたときは「母と一緒に絶叫しました」と振り返った。

 

運動はほぼ未経験での競輪学校生活はとても苦しかったそうだ。

「集団生活に慣れていなかったこともあり、競輪学校での生活はキツかったですね。

なんとか同期の人たちに付いていくことがやっとでした」

 

競輪学校は33人中28位で卒業。

卒業記念レースの最後のレースで初の1着を取ったことが思い出だ。

 

「引退した中山麗敏さんがカマシ先行。その後ろに付いていって差し切って1着。

この1着はプロでやっていく自信につながりました」

 

 

    この記事が気に入ったら
    いいね! してね。

    その他の松本直のガールズケイリンちょっとイイ話

      おすすめの記事