【柔道】羽賀龍之介×深谷知広 アスリート対談 前編
2023.03.02
他競技の選手と競輪選手の対談企画『アスリート対談』
羽賀龍之介選手は東海大学時代から数多くの大会で優勝し、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは銅メダルを獲得しました。
東京オリンピックの出場は叶いませんでしたが、2020年・全日本柔道選手権大会で優勝。
4月に32歳を迎える現在も、現役の柔道家として活躍しています。
深谷知広選手は2009年に競輪選手としてデビュー。
史上最速でS級に昇級し、デビュー2年目のヤンググランプリでGⅡ初優勝・翌年は高松宮記念杯競輪でGⅠ初優勝。
いずれも競輪史上最速優勝記録を樹立し、ついた異名は“平成の怪物”。
2017年から2021年までは自転車競技にも復帰し、トラックワールドカップ・男子スプリントでは日本史上初の銀メダル、チームスプリントでは金メダルを獲得しました。
今回は「互いの競技のイメージ」・「オリンピック」・「年齢」・「後進育成」など、様々な話題について語っていただきました。
羽賀龍之介選手(以下:羽賀) 今日はよろしくお願いします!
深谷さんとは、新田(祐大)さんの紹介で知り合いましたよね。
深谷知広選手(以下:深谷) 僕はもともと、他競技の選手との接点はあまり無かったんです。
でも、新田さんにいろいろと連れて行ってもらうようになり、羽賀さんとも出会いました。
羽賀さんのことはすごく印象に残っていましたし、練習仲間の後輩が高校まで柔道をやっていたこともあり、昨年は柔道の大会「講道館杯」を見に行きました。
羽賀 実際に見に来てくれる行動力がすごいですよね。
素直に嬉しかったです。
深谷 相手を投げる瞬間に「ううっ」と唸る選手の声、生で聞く畳の音の迫力、すごくカッコよかったですし面白かったです。
僕は「他競技の魅力発信の仕方」に興味があって、いろんな競技を見に行っています。
見た中で印象に残っているのは、スピードスケートです。
照明や音楽の演出がすごいんです。
レース中はその種目の特徴や魅力など細かい解説が放送されて、それを聞きながらレースを見られるので、ルールが分からない人でも楽しめると思います。
羽賀 実際に見に行って分かることって、多いですよね。
僕は競輪を現地で見たことはまだ無いですが、レースはよく見ています。
バンクを走っている間には、多くの戦略がありますよね。
選手同士のコンタクトなどを見ると、記録競技ではなく対人競技だなと思いますし、ある意味“格闘技”の要素もあるのかなとも感じます。
知れば知るほど深みを感じますし、「戦っている」と思って見ています。
深谷 コンタクトには体重制限も無く、決して体重が重い方が勝つわけじゃない。
そんなところも競輪の魅力の一つかもしれないですね。
“自転車という道具”に乗っているからこそ、60kgの選手が100kgの選手をブロックして、どかすこともできます。
オリンピックを目指すまで
深谷 父が競輪ファンで、気付いたら競輪選手を目指していました。
父は車も好きで、その影響で僕も小さい頃から車が大好きだったんです。
「競輪選手になったら(好きな車を)買えるぞ」と刷り込まれました笑
競輪選手としてデビューした頃は、1年ほど自転車競技のナショナルチームに所属していたんです。
でも両立が難しくて、一度は競技を断念して、競輪に専念しました。
東京オリンピック開催が決まった時、新田さんから声をかけてもらって、もう一度「オリンピックを目指す道」に戻してもらいました。
ちょうどその頃は、競輪選手として一通りやることをやれていたので、うまく区切りもつきました。
それからは「オリンピックの金メダル」を目指して、日々トレーニングをしていました。
でも、ワールドカップでスプリントの銀メダルを獲った時に、「“金メダル”までの壁」をすごく大きく感じてしまったんです。
その壁の大きさに、『パリオリンピックまでの3年という短さでは金メダル獲得は厳しい』と心が折れてしまいました。
コーチからは「半年休んで考えろ」と言われましたが、キッパリと競技から離れる決意をしました。
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