【垣外中勝哉選手】公私共に大活躍!趣味の詰まったキャンピングカー JP STAR Happy1

2024.03.08

“車好き”の選手も多い競輪界。

最新型モデルはもちろん、旧車やアメ車、超高級車からスポーツカーまで。

競輪選手自慢の愛車を紹介します。

 

My beloved car!

 

第9回はアイスブルーのカラーが映える、オシャレなキャンピングカーを紹介!

持ち主は競輪選手歴33年目、平成を駆け抜けたベテランレーサーです。

 

垣外中勝哉選手(大阪・68期)

 

 

 

幼少期から憧れた競輪選手

 

地元は一宮市(愛知県)で、父親が競輪の大ファンでした。生まれた瞬間から「この子は競輪選手にする」と言っていたそうです。

小さい頃から、一宮競輪場(2014年廃止)と岐阜競輪場、大垣競輪場へ父親に連れられて行っていたのですが、レースも選手たちもすごくかっこ良くて、僕も競輪が大好きになりました。

「動物園と競輪場、どっちに行く?」と聞かれたら、「競輪場」と答えるくらいでしたから(笑)。

将来は当然、競輪選手になるものだと思っていました。親孝行なもん(息子)ですよね(笑)。

 

中学は基礎体力を付けるためにサッカー部に入り、高校は自転車競技部のある中京大学附属中京高校に進学。

通学で往復70km、部活の練習と合わせて1日100kmは自転車に乗っていました。

大会前は名古屋競輪場で練習させてもらっていたんです。

子どもの頃は、先行選手に「なんで1周くらい逃げ切れないんだ!」と思っていましたが、実際にバンクを走ってみると傾斜は怖いし、「よく逃げ切れるわ…」と、競輪選手の偉大さを実感した瞬間でした(笑)。

 

 

高校2年生の時に名古屋競輪場の愛好会に参加して、そこで指導してくれた塚崎眞吾さんに弟子入りしたんです。

高校3年生からは師匠の家に下宿して、競輪学校(現:日本競輪選手養成所)の受験に向けて“自転車漬け”の毎日を送っていました。

アマチュア選手と、競輪学校を卒業したばかりの新人選手と5人で下宿していて、先輩が夜に喫茶店へ連れて行ってくれるのが、唯一の楽しみでしたね。

 

当時は競輪学校を年2回受験することができて、僕は2回目の受験で合格。1991年にデビューしました。

今と違い、S級、A級の下にB級というランクがあり、S級選手は約4,300人のうち430人だけ。

S級に上がると「成功者」と言われた時代で、僕は20代でS級に上がることができました。

29歳で記念(2001年GⅢ・広島)を優勝して、30代に入ってからはFⅠで5回優勝できた年もあり、安定して良い成績を残せるようになってきました。

 

当時の競輪選手たちは豪快というか、デタラメでしたね(笑)。

新人の頃、最初に教わった酒は“ヘネシー”だったり、レース後の打ち上げで「財布に賞金の“端数”を入れて行く」と言った“端数”が70万円で、平気で一晩のうちに使ってしまったり…。良い時代でした(笑)。

 

 

 

34歳、選手生命の危機に直面

 

この良い流れが一気に変わったのが、34歳の時。地元の一宮競輪場で行われる『オールスター競輪(2003年GⅠ)』に向けてやっていた頃でした。

練習中に痛みもあったので病院で見てもらったところ、ひざの軟骨が無くなるケガをしていたんです。

先生から「自転車にはもう乗れないよ、“私生活ができるように”手術をするから」と言われて…。

ぼうぜんとなって、気付いた時には帰りの電車の中で、泣いていました。

 

そんなお先真っ暗だった時に先輩の山田裕仁さんお見舞いに来てくれました。

僕は競馬が大好きなので、山田さんと一緒によく競馬をやっていたんです。

“お見舞い”だと言って北海道の往復航空券をいただきました。

山田さんと北海道の牧場で競走馬を見て回っていた時に、「馬主やらんか?」と言われて。一晩考えて「(競輪選手の)退職金で買おう」と、1頭馬を買って帰りました。

 

垣外中選手「この馬はビスカスラインという名前です。大井競馬を走らせて、4勝してくれました。儲かったお金で、もう1頭買いました(笑)。」

 

年齢も若かったですし「何とかして競輪選手を続けられないだろうか」という思いが強くて。先生に相談して、復帰できるよう応急処置的な手術をしてもらうことになりました。

馬も買ってしまったし、選手を続けるなら「早く(レースに)戻らないと」という気持ちもあり(笑)、復帰に向けて一生懸命リハビリに励みました。

 

復帰戦で発走機についた時、「もう一度この景色を見られただけで満足だ」と思いました。

いざ走ると欲深いもので、「やっぱり負けたくない」という気持ちにすぐ切り替わったんですけどね(笑)。

それから10年間、何とか踏ん張って44歳までS 級でいられました。

 

いまはデビュー33年目の52歳。

体はその時によって状態が全然違いますし、だいぶキツくもなってきて、調整の大切さを実感しています。

苦しいことも多いですが、これからも“気持ち”が続くまで、競輪選手として頑張っていきたいと思います。

 

 

 

そんな垣外中選手が、自慢の愛車を紹介してくれました!

 

JP STAR Happy1

 

 

2022年に内装なども含めてトータル480万円で購入した、人生初のキャンピングカーです。

コロナ禍で開催へ行く時は車での移動が増え、車中泊をすることもありました。当時は小さいベンツに乗っていたので体がしんどすぎて…。

ふと、キャンピングカーが思い浮かび、調べて見つけたのがこの車でした。

車体はコンパクトですが装備自体は1,000万円クラスのキャンピングカーと同じなんです。

実際にキャビンに入ると、広々としていて快適に過ごすことができますよ。

 

 

シンクやクーラー、冷蔵庫、テレビ、電子レンジなど、トイレ以外の生活に必要な道具は揃っています。

運転席の上はバンクベッドになっているんです。引き出し式で、パネルを引き出すことで就寝スペースとして使えます。

普段は、マットレスや自転車のフレーム、タイヤなどの置き場になっていますが、息子と一緒に出かける時なんかは、この場所を“基地”にしていて、楽しそうですよ(笑)。

ソファもベッドになり、クッションの下は収納になっているので、食材や調理器具を入れられて便利です。

 

 

Wi-Fiも繋いでいるので、テレビにFire TV Stickを付けて映画を見たり、パソコンで馬券を買って、テレビでレースを見て楽しんでいます。自分だけの場外馬券場です(笑)。

 

応援馬券を飾る車内

 

自分の部屋を持ち歩いている感覚ですね。

開催へ行く時は、前検日の2日前くらいに出発して、温泉や競馬場に立ち寄ったり、各地にいる選手仲間と会ったり。

長距離の移動でも体は疲れないし、以前に比べてすごく楽になりましたよ。

この車で、これまでで一番遠くへ行ったのは青森です。名古屋から仙台まではフェリー。蔵王に寄って温泉に入り、御釜(おかま)を見たりしました。

 

垣外中選手「家に使われる指紋認証式の鍵も取り付けました。鍵を持っていなくても開けられるので、楽ちんです」

 

10歳になる息子と、毎月1回は男2人でキャンプや車中泊をしに行くんです。最近は琵琶湖や、和歌山の仙人風呂に行きました。

キャンプ道具を持って行き、息子は焚き火を準備して、僕は七輪で食事の準備をしたり、楽しいですね。

この車を大満喫しています。人生で買ってよかったものの中で、3本の指に入ります!

 

 

たくさんの方に競輪に触れてもらい、選手を知って、レースを見て、車券を買って楽しんでほしいです。

これからも、応援よろしくお願いします!

 

 

 

垣外中勝哉

Katsuya Kaitonaka

 

生年月日:1971年4月10日

身長:172.0cm

登録地:大阪府

ホームバンク:岸和田競輪場

◆詳しいプロフィールや出走情報はコチラ

 

 

【My beloved car!過去記事】

第1回 小林莉子選手 ダッチ ラムバン

第2回 深谷知広選手 ロールス・ロイス レイス

第3回 高橋朋恵選手 ホンダ CB400SS

第4回 吉田有希選手 メルセデス・ベンツ Gクラス

第5回 高木佑真選手 アルピーヌ A110S

第6回 大塚玲選手 マットモーターサイクルズ ヒルツ250

第7回 佐藤龍二選手 Jeep グラディエーター

第8回 増田夕華選手 トヨタ ハイラックス

 

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